旅の動機

 何故唐突に自転車で日本一周しようと思ったか。それは"ロマンに駆られたから"の一言に収束する。
「人生を賭けるに値するのは、夢だけだと思いませんか?」とロッセリーニが言うように、人生賭けたいと思った。



 2年前カナダに旅立った。それはただ日本を出た事が無かったからで、 "海外で生活してみたい" という憧れのような知的好奇心だった。動機のほとんどが勢いだったので、行って最初は「あぁ」というやってしまった感と、「おぉ」というなんだこれは感で、人生踏み外したような、踏み出したような気持ちだった。ただ道を歩くだけで楽しかった。ドキドキした。右を向けば変態が居て、左を向けば浮浪者がいる、そんな世界に自分はトリップした。奇警。固定観念が砕けた。傍観者である自分に勧善懲悪な考えはなく、何もかもを楽しんだ。今このコレが自由なのか、若しくは不自由なのか。そんな事もわからない実にふわふわした感覚だった。

 

 そうやって楽しく過ごした。楽しさに慣れた。悪く言えばルーティンライフに縛られた。たまにある非日常を貪りながら、毎日安定した日常を続けた。当初、海外へ行く事が目的だったものが、来てから変わっていた。というか進化していた。毎日に刺激を求めた。変えようと試みた。でもダメだった。撞着。自分が飽きたぬるま湯は離れてみると心寂しくなっていて、僕をそこまで引き戻した。多くを望めど手に入る。しかし代償も然り。自分は代償を払えなかったのだ。ぬるま湯に淀み、脱せなくなった僕は世界に文句を言っていた。今思えば、つまらないのは世界ではなく、自分だったに違いない。
          "おもしろき こともなき世を おもしろく"
 ソンナコンナなアレでもカナダへ行った事は後悔しなかった。抽象的に自分が進めた気がするし、自分の糧となったことは揺るぎない。ただ自分が求めたものの結果だったというだけのことだ。良い仲間と、不味い酒と、喚く夜を過ごした。それが自分にとって楽しかったなら良し。過去が変えられない事は恐ろしい。そして過去が変わらない事は嬉しい。そう思った。

 

 せわしない僕はすぐ次はどうしようか考えた。四望。毎日が刺激的な生活。毎日が違う生活。そうだ自転車で日本一周でもしよう。最初はそんな軽いノリで決めた。帰国するまでに色々調べた。日本へ着いた時には、カナダへ行こうと決めた時と同じワクワクで満ちていた。それはオートマ車のアクセルのように、踏めばギアを変える必要なくどんどん加速していった。カナダ同様、動機は勢いだ。

 ロマンってそういうものだろうか。とにかく、このワクワク感に駆られた。追懐。15年前ポケモンを初めてやった時もワクワク感でいっぱいだった。今どんなゲームをやろうと、あの時と同じ感情にはなれないと思う。今の自分が求めているものはこれなのだ。分析や達成感なんていらない。ただワクワクしたい。熱くなっているのだ。熱くなれたのだ。何が起ころうが構わない。むしろ何か起これ。と。こう思える自分で良かった。思う事は大事な事だ。少なくとも自分にとっては。単純な思考回路が行動へと導いてくれる。何の為に生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ。し、何が僕の幸せ、何をして喜ぶ、解らないまま終わる、そんなのも嫌だ。だから僕はトブのだ、何処までも。常識から外れてる感はどうにも否めないが、自分で自分を信じ、認め、誇れればいいのだ。

人生を賭けるに値するのは、夢だけだと思います。

2012年3月

 

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